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2010年10月21日 (木)

第7回フジテレビバラエティプランナー大賞

自分の名前をPCで検索すると、以下の情報にヒットした。

一行知識掲示板』とトリビアの泉 には、ワタシの身内さえ知らない情報(バラエティプランナー大賞)が掲載されていて、よくご存じだなぁと驚いてしまう。

トリビアに関しては、実は番組化される前に別の制作会社に企画書(内容は異なる)を提出したことがある。
結果は、散々なモノで「トリビアなんて言葉は絶対に流行らない」と一喝される始末。
その後、空前のトリビアブームが到来するのに時間は掛からなかった。

ここで、この「フジテレビバラエティプランナー大賞」について触れておこう。
毎年、構成作家の登竜門コンテストとして2002年まで開催されていた。

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前回の第6回までは、年齢制限が設けられており、規定の段階で門前払いだったのだが、なぜか、この7回目(2002年)に関しては、年齢制限枠が撤廃されて自由に応募が可能になった。

ここぞとばかりに、短期間で40以上の企画書を書き上げ、締め切り日(11月30日)ギリギリまで粘り投函。(念には念を入れ、速達扱いで郵送した)

※「逃走中」の原案も、このときにワタシが書いた企画書のなかのひとつであるが、番組的にはいっさい関わってはいない。現在も続く某アイドルグループ番組のゲーム案として提出。新宿東口アルタ前のモニターから指令。エリアは、歌舞伎町や伊勢丹あたりまでを移動範囲。収録は月曜日の朝方(始発前の時間限定)一般人に迷惑が掛からないようにという配慮からの設定。

おちまさとさんも、かつて「炎のチャレンジャー」と同じ企画を考えたのに、採用されなかったことがあると言っていたので、この業界ではよくあることだと普通に受け止めている。

さて、話は戻って、約3ヶ月後(2003年2月中旬頃)にフジテレビの専用HPに結果報告がされ、見事合格。優秀賞を獲得。
応募者が1150人ということだったので、倍率的にはスゴイ方なのかもしれない。

Dscf24861

ちなみに「電波少年的放送作家トキワ荘」には最終選考まで残るものの、顔出しに抵抗があったため参加というカタチは取らなかった。

そのときの電波最終面接は、課題が2種類。
まずは、自己アピール。
10人くらいの集団が、順番にひとりずつ審査員に話をするのだが、ワタシの話には審査員のペンがいっせいに動き、興味深く印象を持たれた感触を持つ(あくまでも自己判断)

続いての2つめの課題、なんと「野菜を使ったダジャレ」。聞いた瞬間、血が凍った。
理由は、個人的にダジャレが大嫌いで、普段からダジャレを多用する人を敬遠するくらい苦手としていたからだ。頭脳をフル回転させて、なんとか無難に乗り切ったが、今でもダジャレは嫌いですよ土屋さん(笑)

作家の仕事として顔出しする必要があるのは理解しているのだが、裏方が画面に登場するのは、演者(えんじゃ)さんに失礼という絶対的感覚があり、そこのラインは譲れない。

また、個人的な意見を述べれば、クイズ作家は裏方であり、陰の存在でなければならない。視聴者参加番組に関わっていれば、なおさらだと思うのだ。

■昨日の正解No.20【リヒトホーフェン】
フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン。著書『シナ China 』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセン(ドイツ語で「絹の道」)として使用したのが最初で、彼の弟子ヘディンがその中央アジア旅行記の一つの書名にこの言葉を使用。その本が1938年に『ザ・シルクロード』という題名で英訳されたことにより有名になった。

OPENまで…あとfouroneshine

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