病院(歯医者・入院日記)

2010年11月27日 (土)

慢性硬膜下血腫 入院生活①

話は前後するが、入院した初日は、本当に時間の経過が遅く感じた。

■入院生活は工夫の連続
この原因は、いきなり環境が変わったことも影響していると思う。体の自由が効かないうえ、常に寝たきりだったので不安感に襲われていく。
1分1秒の時間の流れがやけに遅く感じられ、早く面会時間が来ないかとそればかり考えていた。

入院して実感したのは、快適な入院生活を過ごすためには、患者は自分で色々と工夫しなければならないということ。(病院側は、最低限のことしかしてくれないと心得ていたほうがいいだろう。過剰な期待は禁物である。)

このとき、助かった点は、妻は100円ショップが好きで、日頃から便利で使い勝手の良いモノを知っていたこと。

翌日、妻と娘が見舞いに来てくれたときはホントに嬉しかった。(入院している病院までは、自転車で15~20分くらいの距離。)とりあえず、入院中に必要なモノを取り揃えてきてくれて、パジャマやタオルなど生活必需品が揃った。

■ワタシは寝たきりで、頭を動かすことが出来なかったため、以下のものが重宝した。
①コップはフタができ、ストローで飲み物を飲めるタイプのものを探してきてくれた。
②病院で水はもらえるものの、冷たいものは期待出来ないためロックタイプの氷を常に冷蔵庫に保管。
③幸い、食べ物に制限はなかったため、小分けで口に出来るお菓子を常備。(ただのお菓子好き)
④寝たきりで床ずれをおこすため、湿布薬。
⑤ひまつぶしアイテム(ipod・本・新聞・DSなど)※携帯は原則禁止なので、除く。部屋に電源があるので、充電器を使えばバッテリー切れの心配はない。

■順調な回復
3日目くらいになると、看護師さんたちから「ずいぶん目に力強さが出てきましたねぇ」などと声をかけてもらえるようになった。入院した日には、まだ少し朦朧(もうろう)感があり、それに比べれば格段に生命力が感じられるとのこと。自分では自覚がないが、徐々に回復しているようだ。

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毎日の見舞いで、楽しみにしていた差し入れは“むしケーキ”と“カフェラテ”のセット。駅前のコンビニでたまたま購入してきてくれたものだったが、食べることぐらいしか楽しみがない自分にとってコレを食べるのが習慣になった。

■我慢の限界
入院患者にとって、避けられないのが下半身事情(おしっこ、ウンチ)だ。これらはもう看護師さんにお願いするしかない。この人たちの日常業務なので、変な遠慮は要らない。3日目から食事が取れたのはいいがそうなると排泄の問題が出てくる。

ワタシの場合、治療器具と頭がチューブで接続されているため自分でトイレに行くことが出来ない。
お腹がグルグルして、看護師さんにも恥ずかしくてなかなか言い出せなかった。(美人さんばかりなのも、こんなときに不便を感じる)半日ほど自分の中での格闘を続け、思い切って相談を持ちかける。仲良くなったハリセンボンのはるな似の看護師さんに用の足し方を聞いて驚愕。

なんと、グラススキーで使うような“ソリ型のおまる”にそのまましてくれというのだ。しかも、寝ながらの体勢でしなければならない。終わったらどうするのか訪ねると、ナースコールで連絡をしてくれという。
片付けはもちろん、お尻も看護師さんが拭いてくれるのだという。

「ひゃ~、恥ずかしいどころの騒ぎじゃないなこれは。」しかし、もう我慢の限界は臨界点を迎えていた。

脂汗と冷や汗を感じながら、いざトライしてみる。が、できない…。

あれほど、お腹が痛くて我慢の限界なのにである。みなさんもどうか機会があれば(絶対ないと思う)この体勢で、用を足してみて欲しい。まず無理だと思う。そんなこんなで、悪戦苦闘しながらナースコール。(報告するのも、こっぱずかしい)そんなときに限って、とびきり美人の看護師さんがやってくるのだ。

■白衣の天使を実感
こちらは申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、この頃にはもうほとんどの看護師さんがワタシの体調を気にかけていてくれたので「どう、出たぁ?良かったぁ~。心配してたんですよ~」などと声をかけてくれる。
“あぁ~、介護されるってこんな感じなのかなぁ”と近い老後生活を垣間見た気がした。

不謹慎かもしれないが、この行為を受けるとなんか不思議な快感(?)がほんのちょっぴり芽生えてしまう。美人の若いおねいさんに下半身丸出しをさらけ出すなんてなかなか普通の生活じゃ経験出来ないでしょ。(性癖ってこうして目覚めてしまうのか?!)

処理の後も「これからも我慢しないでくださいね」とにっこり微笑んで言ってくれるのは“ホントにスゴイなぁ”と感心させられてしまう。看護師さんいつもありがとうございます。(つづく)

■本日のクイズデリバリー(★★★)No.57
ノーベル賞の現在の規定で、ノーベル賞を受賞しながら受賞式前に亡くなった唯一の人物といったら誰でしょう?

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2010年11月25日 (木)

歯科助手さんのおっぱいグリグリ攻撃

9月に起業を志し、健康体を取り戻す決意をした。現在は歯医者に週一回程度、通院している。

会議でも、虫歯のため滑舌が悪くなり、思うように会話が出来ていないと痛感。
自分自身、虫歯にストレスを感じていたので、さすがに観念し覚悟を決めざるを得なかったのが真相。

■大の歯医者嫌い
実は、ワタシは大の歯医者嫌い…。

いい大人のクセに歯医者が大嫌いなのだ。とにかく怖い、歯医者には、コワいイメージしか持ち合わせていない。どうにか今までは、忙しさを最大限の理由にして、ひたすら治療を敬遠していた。

しかし、残念ながら歯だけは、放っておいても治らない。

イタズラに虫歯が進行するだけで、何もいいことはない。そんなことは重々承知だったのだが、意を決して歯医者に行った。実に、約10年ぶりの通院である。

どうしても高校時代の忌まわしい記憶が脳裏に焼き付いていて、怖いイメージが抜けきらない。
いま思えば、その歯医者は腕が悪かったのだろう。抜歯のとき“頭蓋骨ごと引き抜かれるぅー”と思ったぐらいの恐怖を体感した。そのときの痛さが記憶に埋め込まれているに違いない。

■評判の歯医者さん
ちなみに現在通院しているのは、近所でも評判の腕のいい歯医者さん。

ここは毎回、初診のときにアンケートを記入。治療前に膝を突きつけて親身にカウンセリングを行ってくれる。(治療方針やこちらの希望なども聞いてくれ、心理的な不安を取り除いてくれるのが大きい)

さて、いざ治療。虫歯になるほどの状態なので、当然、歯の手入れも相当悪いらしく歯の掃除(歯石取り)から取りかかるハメに。(通院を機に電動歯ブラシで磨くことを習慣にした。)

歯石を取るときは、先生に代わって歯科助手さんの担当。

どういうワケか、みな若くてカワイイおねいさんばかり。(ココは、顔で面接しているなと勝手に確信)実際は、マスクをしているので顔は良く分からないのだが、それでもみな美人さんばかり。

いざ、歯石取りが始まると、これがハンパなく痛い。

流血なんか当たり前といった感じで、容赦なく治療は続く。きゅいーん。きゅいーん。
「痛かったら左手を挙げて教えて下さいねぇ」などと優しく言ってくれるが、たいていは「もうちょっとですから我慢してくださいねぇー」などと制止されてしまうのがオチだ。

■おっぱいグリグリ攻撃
そのうち治療は佳境に入り、頭にやわらかい感触を感じる。そう、歯科助手さんの胸がグイグイと頭に押しつけられて来るのだ。ぐいぐい、ぐいぐい。(擬音で表現すれば、“ぷよ~ん”“ぽよ~ん”だろうか。)
大袈裟に言えば、胸で頭を固定されているような感じ。
明らかに動揺を誘う。ヤ、ヤバイ、この感触。しかし、偽らざる本心は、き、きもちいぃ~である。

いくらワタシが正直者であっても、ここで「へぇへぃおぉはいはあはっははふ」(先生、おっぱいが当たってます)などと、わざわざ治療を中断して申告するケースではないだろう。

口のなかはとてつもない激痛なのだが、予期せぬ胸の感触で束の間の幸せ気分を満喫。
(これは治療なのだ、何もやましいことはない。)ココロが葛藤を続けるが、自分自身に言い聞かせるのに精一杯な自分がいる。

ジーパン履いてきて良かったぁ~。チノパンだったらアウトだったな。(なにが?)

自分のおかれている状況を冷静に捉えてみると、へへへへ~と嬉しくて思いっきり顔がニヤけたいのだが、そんな自分を戒めグッとこらえてみる。

しかし、そんな痛いのに嬉しいといった状況がたまらなくおかしくて、ひとり変態妄想モードに突入。治療が終わったときは、痛さから解放され正直ホッとした。

あれから、ずいぶん治療も進んだが、歯石取りがまたないかなぁーとココロ密かに期待している自分がいる。はっ、そうか!!あの意図的な攻撃は、歯医者側の通院させる狙いだったのかもしれない。(そんなワケない)

■本日のクイズデリバリー(★)No.55
オランダ語で「ナインチェ・プラウス」と呼ばれるウサギの女の子のキャラクターで、オランダのデザイナーディック・ブルーナが描いた絵本の主人公といったら何でしょう?

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2010年11月23日 (火)

2008年11月22日“限りなく死に近かった日”(後編)

病名は「慢性硬膜下血腫」と告げられた。

年間発生額度は人口10万人に対して1~2人とされている。

■ミイラ男に変身
「慢性硬膜下血腫」の原因は外傷性ということで、頭を強く打ったりしたあと2、3ヶ月して症状が出る。格闘技やプロボクサーの選手、はたまた工事現場などで働いている人や高齢者に多い病気だという。

もちろんワタシに、そんなスポーツ的趣味はなかったし、基本は事務ワーク(?)なので思い当たる原因など、まるで見あたらなかった。

なにはともあれ、ワタシは変わり果てた姿で入院生活を送るハメに。

頭は、ミイラ男並に包帯がグルグル巻き、処置の為にチューブが脳と接続されている。
点滴で抗生物質と栄養を入れられ、尿も手術のときにパンツを脱がされ尿管にチューブを差し込まれ、尿袋をベッドサイドに付けられていた。

体が自分の自由にならない状態におかれて、少しずつだが朦朧(もうろう)としていた意識も普段どおりに戻ってきていた。妻に自分の意識のなかった時間帯の経緯を訪ね、空白の時間を埋めようと努めていた。

このときに聞いた話だが、やんちゃ盛りの娘が手術時間中は(4時間)じっとおとなしく、絶えずワタシの安否を心配してくれていたという話には、グッと感極まってしまう。

そうこうするうちに様子を見に来た担当医が、これからの治療方針を話してくれた。

■退屈な入院生活
もらった資料によると、早ければ3日ほどで退院が可能とあったが、今回は一週間ぐらいと打診を受ける。
だいぶ落ち着きを取り戻し、面会時間もだいぶ過ぎていたため、妻と娘に帰宅してもらった。

ひとりになって、慌ただしい一日を回想してみる。

予期しない急展開を迎えたが、あのタイミングで診療を受けに行かなければ間違いなく助からなかっただろう。あのまま忠告を聞かず自宅で寝ていたら、翌日には出血多量で死んでいたハズ。本当に妻の決断には頭が下がる、感謝してもしきれない。

もちろん、最善を尽くして下さった先生方にも深い感謝をのべる。(内科では、処置に施しようがなかったので、CTから脳外科診療まで行き着く過程を選択して下さった経緯に感謝している)

ただ、この入院生活はワタシにとって苦痛で地獄の日々だった。

頭をチューブが脳と接続されているため、常に頭を水平状態に保っていなければならない。24時間ずっと寝たままなので、背中が痛くなり、床ずれのような症状を引き起こす。寝返りで痛さを回避するしかない。

■羞恥心、羞恥心。
救いだったのは、看護師さんがみな若くてカワイイ人ばかりだったこと。カラダの自由がきかないのと、患者は羞恥心を捨て去らねばならないため、看護師さんにされるがまま。(尿管にチューブが刺さっているので、しょっちゅう看護師さんが確認。「失礼しますね」といって股間(ちんこ)を見られるのだが、もう「はいどうぞー。どんどん見てってねー」というしかない。恥ずかしがってなんかいられないのだ。)

することがないので、面会時間以外は、ひたすらipodか読書に没頭。(テレビも見られたが、なぜか病室で見る気はおきずに妻に録画を頼んでいた。)

3日ほど経過しても、点滴だけで何も口にすることが出来ず、とてつもない空腹感に襲われた。担当医に泣きついて食事の許可をもらう。が、起きあがることが出来ないため、寝ながら食べられるおにぎりを作ってもらう。

※書いてみると結構な長文で、まだ書きたいこともたくさんあるため、ここらでUPしておきます。(つづく)

■本日のクイズデリバリー(★★)No.50
現在までに正式に命名されている112の元素のなかで、アルファベット一文字で表される元素は全部でいくつあるでしょう?

■本日のクイズデリバリー(★)No.51
中島歌子の歌塾「萩の舎」で歌や古典を学び、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった作品を残し、わずか25歳でこの世を去った明治の女流作家といったら誰でしょう?

■本日のクイズデリバリー(★)No.52
正式な題名を「自然選択の方途による、すなわち生存競争において有利なレースの存続することによる、種の起原」という、この本を書いた進化論で知られるイギリスの自然科学者といったら誰でしょう?

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2010年11月22日 (月)

2008年11月22日“限りなく死に近かった日”(前編)

11月22日は、世間的には「いい夫婦の日」であるが、我が家では、ちょっと事情が違う。
こんな風に書くと夫婦仲が悪いみたいだが、そんなことは一切なく普通の家庭よりは、関係は良好。夫婦仲はいい方だと思う。

実は、2年前のこの日、ワタシは緊急手術で命拾いをした日なのである。

■思考能力ゼロ状態
この日から、さかのぼること1ヶ月くらい前の10月。この時期あたりから体調に異変を感じていた。風邪のような症状で常にダルさを感じ、寝たきりのような状況が何日も続いた。病院で診察してもらっても異常は見受けられない。

帰宅して普段の生活に戻るものの、状況は全く改善しなかった。

頭は、ボーとしたような感じで思考能力さえない。何も考えつかない。自分が自分じゃないような感覚に襲われていた。

ショックだったのは、子供乗せ自転車さえ乗れなくなってしまったこと。普段と同じように娘を自転車に乗せ外出しようとしたら、全く自転車を漕げずに倒れてしまったのだ。(この時点で三半規管をやられていたと気づくべきだった)さすがにこのときは、何かがおかしいと感じたものの何が原因かは分からなかった。

この時期は、普通に真っ直ぐ歩くことさえも多少困難になってきていた。

恥を承知で告白するが、排泄(おしっこ)にも異常が見受けられた。自分では完全に出し切ったつもりでも直後に、スエットのズボンやパンツが濡れている。(のちに判明したのは、該当した病気にこの症状が当てはまるということ)排泄のコントロールさえ自分では出来なくなってしまっていた。

こんなことの繰り返しで毎日、微熱とダルさと戦い、額にデコデコクールを貼って寝こむ毎日。

■救急車で運ばれ緊急手術
こんな日々を1ヶ月以上も続けていたある日、異常を感じ取っていた妻に強く説得され、再度朝イチで病院へ。(この前の週にも診察を受けていたが、異常は見受けられなかった。)
※この選択が、のちのちの運命を大きく変えることになるターニングポイントだった。

普段は、自転車でカンタンに通える距離なのに、わざわざバスを使って行ったほど体力が衰弱。

診察で症状を伝えるものの、やはり異常は見受けられなかった。処方された薬でも効き目がないということと「意識が朦朧(もうろう)としている」とのことで、念のためにCTを撮ることに。

薄れていく意識のなかで、病院内がドタバタと慌ただしく騒ぎ始めていく。

妻に説明する声が耳に届いた。
「ご主人は脳内出血をされています!!」(聞きながら「あぁ~そうなんだぁ~。オレどうなっちゃうんだろう。」カラダが言うことを効かないので、周りに状況をゆだねるしかなかった。)

「幸い病院を押さえることができ、手術をする先生も手配出来ましたので救急車で向かうことになります」病院から病院へと救急車で、搬送されることになった。

ストレッチャーで運ばれるとき、声をかけてくれた先生の言葉を今でもハッキリ憶えている。
「きょう(診察に来て)で良かったな!!助かるぞ」

なんとか、近くの獨協大学病院(越谷市)に運ばれ即座に緊急手術。

家族には、約2時間と伝えられていた手術時間は大幅に過ぎ、終わってみれば約4時間の大手術だった。手術は、なんとか無事に終了。
病室で目覚めたのは約2時間後の午後8時過ぎ。家族はひたすら見守って看病していてくれた。

病名は「慢性硬膜下血腫」と告げられた。

OPENまで…あとnineshine

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