ウルトラクイズ

2012年5月28日 (月)

第2回ウルトラクイズ 元祖クイズ荒らし登場!!

第1回の衝撃が凄かったため、以降は毎週のように、新聞で木曜スペシャルの番組欄をチェックする日々が続いた。(当時は、テレビ雑誌などが皆無で、新聞のテレビ欄で当日の番組を知るのがあたりまえの時代だった。)

「また見たい」と思い続けながらも、番組を忘れかけていた1年後の1978年、その願いは叶った。※当時、ワタシは小学4年生。
ただ見るだけの番組なのに、番組名を見つけたときは飛び上がって喜んだ。それぐらい自分の心のなかでは、大きな存在になっていた。

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「第2回アメリカ横断ウルトラクイズ」
ワクワクとドキドキを抱えながら、番組を見守っていく。スタートは前回同様、後楽園球場。前回と違うのは、○×クイズはグラウンドから行われ参加人数もかなりの人数に感じられた。【700→100】

問題が出題されると、○×それぞれ正解だと思う方へ移動、もちろん間違えれば失格。
走って移動する光景がなんとも斬新に感じられ、未知なる興奮をおぼえた。

第2次予選は成田空港。おなじみのジャンケン勝負も単純に楽しめた。【100→50】

第1チェックポイントの機内ペーパークイズ。500問という数字は、当時の小学生からすれば無限の問題数に感じられ圧倒させられる。
タラップを降りてくる挑戦者の悲喜こもごもが展開され、そのなかで機内1位として紹介されたのが北川宣浩さんだった。

初めて見た感想は、ビジュアル的に「カッコイイ”ヒーロー顔のお兄さん”」という印象を受けたのを覚えている。まるで、仮面ライダーや怪傑ズバットの主人公のようなイケメンさ(?)ぶりに期待を感じたのだ。

もちろん視聴者の注目が集まる順位なので、優勝候補の筆頭として俄然、北川さんに注目することになる。
敗者は強制送還で、そのまま日帰りUターン帰国する光景は、子どもながらにもドライに感じられウルトラクイズの本気さを思い知らされる。【50→40】

第2チェックポイント。
サイパンのビーチで札上げ○×クイズ。”サドンデス勝負”で、まさかの展開、勝者のなかに北川さんの姿を探すが見当たらない。
北川さんは敗者になってしまい愕然とさせられる。空港前で行われた敗者復活戦の「アルファベットカルタクイズ」でみごとな復活を遂げ、ホッと一安心。
※アルファベットの一文字がカルタになっており、正解と思う札を取り合う形式。この頃には、勝手に応援団気分で感情移入していた。【40→20】

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■圧倒的な強さでクイズ王に
その後は、ハワイ「記憶力クイズ」、サンフランシスコ「3択ゲストクイズ」、レイク・タホ「一問多答クイズ」、リノ「フォーチューンウィル(幸運の輪)クイズ」、デンバー、シカゴ「国際電話インスピレーションクイズ」、ナイアガラ、ボストン「バルーン・アップダウンクイズ」と、ほとんどのチェックポイントを1位で通過した北川さんは、圧倒的な強さを誇っていた。

この回のチェックポイントでは、リノが特に記憶に強く残っている。ウルトラクイズは、野外ロケで行われるのが基本なのに、カジノを舞台に室内でのクイズという見慣れない風景が印象的だった。

風景では、ナイアガラの滝の圧倒的なスケールとアメリカに広がる自然の雄大さにも驚かされる。

クイズ形式では、「国際電話インスピレーションクイズ」が大変そうで家族の協力が必要とされ、自身の実力だけでは勝ち進めないという厳しさが”クイズ王”への道のりは大変なんだなと感じさせられた。

ボストン(準決勝)、熱気球に乗ってクイズを行うという壮大なスケール感にも手に汗を握って見守った。ここでは、1問目を間違えたのは北川さんだけで不安にさせられるが、見事ニューヨークへのチケットを手にする。【4→2】

決勝戦、ヘリコプターに搭乗し、ニューヨークの摩天楼のなかを突き進んでいく風景は壮観さを感じた。前年も見た、あのパンナムビルが舞台、快調にポイントを重ねていく。そんななかボタンを押す指がふるえている映像は、テレビを見ていても緊張感が伝わってくる。

優勝を決めた問題は「バイオリン!!」この瞬間、2代目のクイズ王として北川宣浩さんが栄冠に輝いた。

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前年の松尾さん同様、チャンピオンとなった北川さんの喜びは爆発していた。福留さんと相撲を取るシーンなどもなんかわからないけど凄かった。優勝商品は、家族をニューヨークに招待した旅行で、成田空港で待機したご家族が決勝直後に合流というものだった。

3週間の放送期間はホントにワクワクさせられた。放送日の木曜日が待ちきれなくて絶えず時間を気にしていたことを鮮明に覚えている。前回以上に感激して、ますますウルトラクイズの虜になっていく自分がそこにいた。

1回目から比べると、全体的に挑戦者の若返りが目立ち、爽やかな印象を受けた回でもあった。もちろん、当時は小学4年生だったので問題はサッパリわからなかったが、そんな問題を次々と正解し、勝ち抜いていく人々がカッコよく感じられたものだ。※当時は、編集されていたことなど想像も出来ない世界だったので、ただただ驚かされっぱなし。

■元祖クイズ荒らし!!
北川さんは、ウルトラクイズのみならず他のクイズ番組に登場し、次々と優勝をさらっていく「元祖クイズ荒らし」として活躍された。

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※1985年に発売された「TVクイズまる金必勝マニュアル」の腰巻(帯)に「元祖クイズ荒らし」と書かれていたので便宜上、この表現を使っている。
これは同時期に発売された道蔦岳史さんの「TVクイズで10倍儲ける本」に対抗して、出版社側がこの表現を使いたかったのだと思う。

個人的には、小山鎮男さんらテレビ創世記に活躍された方たちが「元祖クイズ荒らし」と呼ばれる存在で、北川さんらは次の”第2世代”あたりに位置するクイズ荒らしだったのではないだろうかと勝手に推測している。

その後のウルトラクイズにおいて、北川さんは様々な記録を打ち立てていく重要なキャラクターとして登場した。
第3回後楽園予選では、ゾーンとは違うボール(○なら赤いボール、×なら白いボール)をつかんでしまったということでレフリーにつまみ出されて失格。※後にも先にもこういうシーンを番組で放送したのはこれっきり。第4回では、クイズ王初の第一次予選突破、機内でも堂々の1位を獲得し、2度目の快挙を成し遂げる。グァムで初めて行われたドロンコクイズでは、記念すべき第1号の挑戦となり最初に泥にハマッた挑戦者でもある。

そして、有名なところでは、第6回の1問目事件など枚挙にいとまがない。15回のドーム予選では、通過間際まで勝ち残り、3度目の快挙が成るかとファンを熱狂させる。※残念ながら通過はならなかった。特にこの年は福澤朗アナの初司会で、ふたりの絡みを見てみたかったと期待するファンは多かった。しかし、北川さんの凄さはこれだけではとても語れないのだ。これらは、いずれ書くであろう「TVクイズ大研究」編で語りたいと思う。

Dscf4643【名フレーズ】
高校野球(甲子園)で、活躍しまくった清原和博選手に「甲子園は清原のためにあるのかぁー!?」という有名な絶叫フレーズがあるが、これをあてはめれば「ウルトラクイズは北川のためにあるのかぁー!?」と言えるかもしれない。それぐらいウルトラクイズにとって北川さんの活躍は切り離せないものなのだ。

■本日のクイズデリバリー(★★)No.99
マンガ「銀河鉄道999」(アンドロメダ編)で、地球を出発した999が最初に停車した惑星はどこでしょう?

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2010年10月28日 (木)

ウルトラクイズ 番組本との出会い

第2回、第3回と年1回の放送を毎年楽しみにしていたが、第4回の行われた1980年に新たな出会いがあった。それは、書店で「アメリカ横断ウルトラクイズ」の番組本を発見したこと!!
各回1~3巻まであり、即3冊購入。1冊680円、3冊で2040円。小学生にとっては高額だったが、たまたま、お小遣いを持っていたので迷いはなかった。自宅で、むさぼるように読みあさった記憶がある。

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※購入した本3冊ともに帯(腰巻き)が付いておらず、後々かなりの年月を経て探し求めることになる。
「1000問に及ぶ史上最高数のクイズに挑戦する超大型番組。頭脳と体力でアメリカ横断!!さぁキミはどこまで行ける!?」というキャッチコピーにココロが踊った。

各チェックポイントの紹介を読み込み、旅の行程を疑似体験しているかのような構成内容に非常に満足。機内クイズが全問掲載されているのにも興奮した。
特に第1回の機内800問というボリューム、1000問という問題数を制覇するクイズ王というコンセプトにしびれた。何より嬉しかったのは巻末に、参加規定が掲載されていたこと。
これを読み、ウルトラクイズは18歳以上にならないと参加できないと理解した。

購入してからは、毎日毎日この本を読み込み、ウルトラクイズ本はバイブルと化した。
もちろん、学校にも持ち込み、休み時間のたびにクイズ大会を開いて友達と遊ぶのが恒例行事に。

第4回以降は、放送終了後に発売されるのが恒例になり、毎年待ち遠しく楽しみにして購入。

■本日のクイズデリバリー(★)No.24
主人公バリー・ケインが真犯人を自由の女神のトーチで追いつめるクライマックスシーンが有名な1942年に公開された映画「逃走迷路」の監督は誰でしょう?

OPENまで…あとthreefourshine

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2010年10月27日 (水)

ツクダオリジナル NTVアメリカ横断ウルトラクイズ

1981年にツクダオリジナルから、ウルトラクイズの電子ゲームが発売された。

■レトロ感満載なクイズゲーム
ツクダオリジナルがゲーム化。電卓形状(液晶画面が存在しない)で、付属の冊子(1001問)を見ながらゲーム機に答えを入力する方式。

ロジャース(ディスカウントストア)で、ワゴンセールのように積まれていて購入。
大好きなウルトラクイズの初めてのグッズだったので、夢中で遊んでいた。

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本体に電池(0061P式)を入れたら、問題集カートリッジを接続。(カートリッジはケースに付着した形になっている)
準備が出来たら、電源をオン![CLEAR]キーを押してから、
①問題の番号をテンキーで入力。(入力しても音や画面に反映されない。しかもボタンが硬め)
②次に4択[A]~[D]の回答ボタンを押す。
③回答ボタンを押してから[ANSWER]ボタンを押すと、正解なら緑のYESランプの点灯と共に正解音。
不正解なら赤のNOランプが点灯。この操作を繰り返して、次々と問題をこなしていく。

サウンドは、哀愁が漂う「ピー(YES)」と「ボー(NO)」の音のみ…。
※クイズブックには答え・解説は一切書かれていない。

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■残念な設計
このゲームには、ゲーム進行上の制約が全くない。
例えば、不正解が多すぎてゲームオーバーになる事も、制限時間もない。
自分の好きな時間に好きなだけ好きな問題にチャレンジ出来るのが特徴。
逆を言ってしまえば、自由度の為に番組の持つハラハラ感が味わえないのも事実。
ただし、問題はノンジャンルで1001問が掲載されていて、ボリュームが満点!

表示系がYES/NOランプしか無いので、今まで正解した数や現在の問題番号など
ゲーム進行に必要な要素すら分からないのが残念。
操作性は、ボタンが硬くキー入力音も無い為に、本当にキーが効いているか分からない。

クイズブック(問題集カートリッジ)は、本体付属の1以外にも2、3が発売されていた。
別の問題集は(茶色)(紫色)だった。

■昨日の正解No.23【東海村】
1963年10月26日東海村で日本で初めての原子力発電に成功。1976年3月18日に運転を終了。1986年から1996年3月31日にかけて解体工事が行われ、設置場所は更地になった。これは日本ではじめての原子炉解体工事である。ちなみに1956年10月26日に国際原子力機関(IAEA)に加盟。本部の所在地はオーストリアのウィーン。毎年、10月26日を「原子力の日」と制定。

OPENまで…あとthreefiveshine

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2010年10月26日 (火)

ウルトラクイズとの衝撃的な出会い

ワタシが少年だった頃は、視聴者参加のクイズ番組が華盛りで「ベルトクイズQ&Q」「アップダウンクイズ」「タイムショック」「クイズグランプリ」「パネルクイズアタック25」などが放送されていた。

どこの家庭もそれなりにクイズ番組は見ていたことだろう。我が家も例外なくそんな家庭だった。

1977年「史上最大!!アメリカ横断ウルトラクイズ」は放送された。当時のワタシは小学3年生。
この年は、巨人の王選手が756本塁打を記録した年で、ワタシも後楽園球場に連れて行ったもらった記憶がある。実際には、755号を目撃し、残念ながら記録達成の瞬間には立ち会えなかった。

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テレビでは、こないだ行ったばかりの後楽園球場が映る。興味深く番組を見守った。
「ニューヨークへ行きたいですか?」福留功男アナの第一声だった。
スタンドで○と×の札を掲げ、不正解だと失格していく。勝者は羽田空港へ、前代未聞のジャンケン。子供にも十分理解出来るシンプルさ。飛行機での機内クイズ、失格者は同じ飛行機で日本へ強制送還。

グァム、青空の下で行われる○×クイズ。ハワイでは、ウルトラハットが初登場。カラフルな帽子に星が描かれていて子供心をくすぐる仕掛け。一対一の船上クイズと駒を進め、敗者は罰ゲームを受けて強制送還されるという斬新さ。サンディエゴでのゲスト三択。

そのスケールの大きさ、壮大なアメリカを舞台に繰り広げられるクイズに完全に魅せられてしまった。

衝撃だった。何だか分からないけどスゴイ面白い!!スタジオで行われるクイズ番組とは違って、勝者のみが旅を続け、敗者は切り捨てられていく。こんな番組見たことない!!

翌週の放送が待ちきれないほど、毎日毎日ワクワクソワソワしていた。

後編、フェニックスでは、サボテンをバックに荒野溢れる早押しクイズ。ダラスでは、牧場での早押し。ニューオリンズでは船上音楽クイズ。準決勝、アトランタで2名が決定。コンピューター予想は松尾さんに軍配を上げる。
決勝、ニューヨークの摩天楼を2機のヘリコプターが旋回し、パンナムビルの屋上で決戦。

「瀬戸口藤吉!」で、クイズ王が決まった。優勝した松尾清三さんの凄さ。
「世の中にはなんてスゴイ人がいるんだろう」と心底、感動したのを昨日のことのように憶えている。
ニューヨークをバックに、飛び跳ねて喜びを表現している姿が目に焼き付く。
優勝商品はラスベガスの土地1226坪。砂漠を一歩一歩、踏みしめる姿がとても印象に残っている。

これがワタシのウルトラクイズとの出会いだった。

ウルトラクイズはもともと、日本テレビの開局25周年記念番組(木曜スペシャル枠)として企画され、以後は人気が継続したため92年の16回大会まで放送されることになる。以後、98年に「今世紀最後!アメリカ横断ウルトラクイズ」の単発スペシャル番組として復活を果たすものの、以降は続編は制作されていない。

■本日のクイズデリバリー(★)No.23
1963年に最初の発電に成功した日本初の原子力研究所があった茨城県の村の名前は何でしょう?

OPENまで…あとthreesixshine

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2010年9月17日 (金)

ウルトラクイズハットペン・キーチェーン

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イベント終了後、物販の担当者から「グッズを購入した方に13回クイズ王、長戸さんがサインを入れてくれる」との告知があり、たちまち行列が出来る。 

ウルトラクイズキーチェーン(税込980円)ハットペン(税込880円)
※共に赤・青・黄の3色展開。日テレ屋、日テレ屋東京駅店、日テレ屋WEB、Amazonで購入可能。
ちなみに全色揃えると、5580円。

ハットの後ろのボタンを押すとお馴染みの回答音が!
さらにもう一つのボタンを押すと、不正解、正解、さらにステージ通過のあの音が!!
ボタン操作で好みの音も選べて自分達でクイズ大会もできちゃいます!
いつでも持ち歩けるサイズです!!

日テレ屋  Amazon 

Dscf19981_4 物販の方に「空き箱を下さい」とお願いしたら、わざわざキレイなものを選んでくれた。

ワタシもサインの列に並ぶ。

ご無沙汰してますと挨拶し、名前を告げると“ガバッ”と顔をあげて反応。
顔を見るなり「おっさんになったなぁ~」とのお言葉(笑)
詳細に憶えて頂いていたことに、ただただ恐縮。奥様にもクイズをご一緒になったことがあり、近況をお話させてもらった。

ちなみに開場前には、列を見渡したときに永田喜彰さんが並んでいたのでご挨拶させていただく。

永田さんには、こんなエピソードを思い出す。
ウルトラ予選の東京ドームで、お互いの意見を交換し「成田でお会いしましょう」と笑顔で別れた。
その後、ご存じの通り永田さんは2度目の海外脱出を果たしニューヨークまで勝ち進まれたのだ。 
※今回、着ていた服の下には13回敗者復活のマリックTシャツ!!

2003年、日テレ開局50周年として行われた「シオドメ横断ウルトラクイズ」以来のイベント開催はこうして幕を閉じた。

全てのイベント終了後、クイズ仲間と親交を深めるべく打ち上げへ。

■昨日の正解No.2【オーロラ】
1621年9月12日、南フランスの夜空を染めた光の一大スペクトルを目のあたりにして命名。明るさはレイリーで表され、明るいもので百キロレイリー以上になる。 日本語では古来「赤気(せっき)」と呼ばれてきた。 北欧神話においてオーロラは、夜空を駆けるワルキューレたちの甲冑の輝きだとされている。オーロラはその形態によって、カーテン状にはっきりと光る「ディスクリートオーロラ」、ぼんやりと光る「ディフューズ(拡散)オーロラ」、またオーロラオーバルの内部に太陽と地球を結んだ方向へと発達する「極冠域オーロラ」に分けられる。

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2010年9月16日 (木)

“幻の中国横断ウルトラクイズ”

大盛況のうちに幕を閉じたウルトラクイズイベント。
終了後の会場は、あちらこちらでファンの方の撮影会が始まっていた。
解答台や優勝旗、ウルトラハット、クイズ王や本土上陸者の方との2ショット。

会場はすぐに閉鎖される雰囲気はなく、イベントの余韻が全体に漂い、不思議な時間が流れていた。

今回、事前に誰にも連絡をせずに足を運んだのだが、終わってみれば懐かしい知人や
サークルの後輩たちが集合し、プチ同窓会といった気分。

そんななか、イベントの進行にも携わっておられたウルトラクイズのスタッフの方と
偶然、会話をする機会に恵まれた。(敢えて匿名)

「番組の復活についての可能性」をお伺いしたところ「現在は誰でも気軽に海外に行ける時代、景気不況なども影響して、正直なかなか厳しい」との見識。

そして次の瞬間、予想もしない衝撃的なスクープが耳に飛び込んできた。

実は、3年ほど前に中国を舞台にした『中国横断ウルトラクイズ』という企画が持ち上がったそうだ!!

「3億円という予算のなかで実現出来ないか」との制約があり、赤字を出して迷惑をかけるワケにはいかないとの理由で、残念ながら企画は通らなかったとのこと。

※過去のスタッフインタビューによると、ウルトラクイズの予算は4億円とも5億円ともいわれている。

“なぜに中国か?”時期的に3年前といえば2007年。
翌年の北京オリンピックを意識した企画であったことは間違いないだろう。

短い時間だったが、我々ファンにも気さくに会話してくださったことに感謝。

さてさて、この企画。実現していれば、一体どうなっていただろう。
第1問目は?
ルートは?
掛け声は「北京へ行きたいかぁ?」になったのだろうか?

『アメリカ横断ー』の場合、西から東へ向かうという流れだが、中国を舞台にした場合はどうだろう。
準決勝は、万里の長城で通過クイズ、決勝は天安門広場。
いや、香港の夜景をバックに船上決戦かな。

得意の妄想癖が止まらない。

■本日のクイズデリバリー(★)No.2
フランスの天文学者ガッサンディが、ローマ神話の女神から命名した大気の発光現象といったら何でしょう?

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2010年9月15日 (水)

続・夏休み横断!ウルトラクイズクイズ王決定戦

冒頭で「ウルトラクイズ史上18人目となるチャンピオン誕生の瞬間を皆さん、ぜひその目で
見守って下さい」と青木アナからコメント。ホントに18人目として公認されるのか?!

今回の企画は、番組公認扱い。勝ち残ったのは名誉でもあるということで
挑戦者の方をご紹介させていただく。

An×An枠から小林孝幸さん。山本晃さん。
日テレ携帯サイト枠から福岡誠史さん。

※福岡さんが広島から上京した(もちろん実費)と紹介されると会場が沸いた。

■準決勝スタート。
日テレ携帯クイズ代表の福岡さん。テンポ良く3問を先取。
最初の通過席チャレンジを生かし、見事に長戸さんを撃破。
早々と“一抜け”を果たして決勝行きを決める!

その後の展開は、残り一枠を懸けて一進一退の攻防が繰り広げられた。
※ふたりとも緊張のためか、簡単な問題でもスルーが多かった。

結果として
最後のイスを奪い取ったのは山本さん。実に7回目での挑戦で、見事に決勝行きを勝ち取った!

残念ながら、ここで敗退したのは小林さん。通過席には1回挑戦で終わった。
苦戦されていたため、いざ通過席挑戦となったときには会場全体が沸く。
まるで観戦者全員が応援団なのかというぐらい、あたたかい声援がおくられていた。

基本的に大会で使用された問題は、全てウルトラクイズの過去問。
通過クイズのときのみ、新作問題を出題。
※途中で用意していた問題が底をつき、その後は過去問を使用。

■セットチェンジ
セットチェンジの時間を利用して、青木アナと長戸さんのミニトーク。
優勝後の反響については「チリの空港で日本人の方に握手を求められた」というコメント
が印象に残った。

■決勝ルール
早押しクイズ。5ポイント先取で優勝!
(誤答はマイナス1ポイント)

※ホン(台本)を見ると決勝は、5or10ポイントとあったので
臨機応変に対応したとみられる。

いざ決勝戦。
準決勝で、圧倒的な実力差を見せつけた福岡さんが優勢かと予測されたが―、

優勝したのは
An×An枠代表の山本晃さんだった。
番組公認の史上18人目となるチャンピオンの誕生である!!

長戸さんから優勝旗の授与。
優勝商品は、舞台上に飾られていたブレザー。採寸をして後日、チャンピオンブレザー
として贈られるとのこと。

時間にして、わずか1時間弱だったが、本物のウルトラハットやクイズ王のゲスト参加など
懐かしさ満載で、ウルトラクイズファンとして大変満足いくイベントだった。

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■昨日の正解No.1【クイズ:quis】
「quiz」の語源は、ラテン語で「何」を意味する疑問代名詞「quis」である。1791年頃、アイルランドのダブリンで劇場支配人デイリーが友人と新語を作って、一夜で流行らせることができるかという勝負をした。町中に無意味な新語である「quis」という単語を落書きをしたら、ダブリン中に広まり、いつしか「quis」という単語は、辞書にも載る言葉になったという説がある。

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2010年9月14日 (火)

夏休み横断!ウルトラクイズクイズ王決定戦

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9月4日土曜日。日本テレビタワーにて開催された
<夏休み横断!ウルトラクイズクイズ王決定戦>を観戦しに行った。
(当初は渋谷ロフトにて行われる予定が急遽会場が変更。)

ちなみにロフトには解答台や優勝旗の特設展示を実施。
ウルトラハットも透明ケースに入れられ展示されていた。

今回は『アメリカ横断ウルトラクイズ公認』Answer×Answerとのコラボ企画である。

今回のクイズ王決定戦には、
An×An枠から2名、日テレ携帯サイト枠から1名の計3名が出場。

12:30 開場。13:00スタート。
司会・問読みは入社5年目。青木源太アナウンサー(「スッキリ」などに出演)

Answer×Answer Liveで行われた予選は参加総数2万1000人とのこと。

準決勝からスタート。
■準決勝ルール『最強チャンピオン 封鎖クイズ』
早押しクイズ。3ポイント先取で通過席へ(誤答は1問休み)。
通過席で今回のゲスト13回チャンピオン、長戸勇人氏に勝てば決勝進出!
不正解や阻止された場合、0ポイントに戻り再び早押しクイズ。

※ウルトラハットは司会席側(下手)から赤・青・黄。通過席のハットはアメリカ国旗仕様。

残念ながら、今回は時間切れでここまで。

■本日のクイズデリバリー(★)No.1
広辞苑では「教師の試問の意」「問題を出して、相手に答えさせる遊び。またその問題。」と書かれている言葉といったら何でしょう?

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2010年9月11日 (土)

第25回アメリカ横断ウルトラクイズ・米同時多発テロ

「アメリカ横断ウルトラクイズ」が青春だった。
ウルトラクイズのチャンピオンになることが夢だった。
ウルトラクイズに人生の全てを捧げていた。

過去を振り返ったときに自分の人生に多大な影響を与えてくれた。
それくらいこの番組の魅力に取り付かれていた。

2001年9月11日。米同時多発テロが起こったのは、もう9年前の出来事である。
番組が92年(16回)で打ち切りされずに、以降も継続的に毎年開催されていれば
2001年は25回大会を迎えていたハズだ。

気心を知れたクイズ仲間からよく質問されることがある。
「もし、あのまま番組が続いていたら2001年(25回大会)はどうなっていたのか?」
例年、成田の国内第2次予選は8月下旬から9月上旬に行われていたので、順当にいけば
グァム、ハワイを通過しアメリカ本土に上陸したあたりと推測される。

果たして番組側は、この同時多発テロという現実をどのように受け止めたのだろうか。
参加者やスタッフの安全面を考え、収録は中止されたのか。
他の都市ならいざ知れず、事故現場となったニューヨークはクイズ王誕生の決勝地であり、
ウルトラクイズ参加者が憧れを抱く聖地なのだ。

結論を言えば、ズルイようだが「どうなったかは誰にも分からない」である。
ただ、個人的な推測を述べれば番組収録は可能な範囲で続行され、例年通り放送されたと予測する。

間違いなくOPにはツインタワーの崩落場面が映し出され、悲劇を伝えつつもニューヨークを
目指すというスタンスを選択したと思う。
その場合、東京ドームの国内第1次予選では必ず字幕スーパーが入るだろうな。
※この予選はいついつ収録したものです。みたいなのがね。

ニューヨークでの決勝も超厳戒態勢のため、ヘリコプターでの空撮(挑戦者紹介)は
まず無理だっただろうし、リバティ島やプリンセス号での収録もどうだったかは微妙なところだろう。
とにかく、この2001年9月11日。米同時多発テロはウルトラクイズファンはもちろん、
全人類に衝撃的な印象を与えた21世紀の出来事として記憶に残っていくことだろう。

本来このブログは明日“クイズの日”をもじった9月12日にスタートを始める予定であったが
テストの意味合いを込めて実験的に本日から始めてみることにした。

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